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森に潜む不協和音 ④

last update Last Updated: 2025-03-24 19:58:55
「俺には関係ねえよ」

 そう言い切るカイルの声は低く、わずかに硬さを帯びていた。

「シオンは妙なことに首を突っ込んでたんだ。自然がどうとか、種子がどうとかな」

 言葉を切り、炉を見つめるカイル。その炎の揺らぎにリノアの不信感が重なった。

「確かにあいつが死ぬ前、森で誰かと会ってたって話は聞いたよ」

「誰と? 何をしてたの?」

 問い詰めるリノアの声にカイルは目を細め、短く首を振った。

「森の奥で何かを企んでる奴らだ」

 カイルはそう口にすると、視線を外し、再び火をかき混ぜ始めた。

「シオンが何か渡したか、奪われたか、俺は詳しくは知らねぇ」

 リノアの胸に冷たく鋭いものが突き刺さる。しかし彼女は更に一歩踏み込んだ。

「狙っているものって、『龍の涙』じゃない?」

 その名を口にした瞬間、カイルの目が驚きの色に揺れた。炉の火をかき混ぜる手に力が込められ、硬く握りしめられた鉄棒が微かに軋む音を立てた。

 飛び散る火花が暗闇を切り裂き、一瞬だけリノアの顔を浮かび上がらせた。

 その沈黙は重く、鋭利な刃物のように二人の間に降り立ち、言葉以上に深い意味を宿した。

「お前、何を言ってるんだ? 『龍の涙』って儀式に使われる種子だろ。あんなものが何だって言うんだ? そんな大層なもんじゃねえだろ」

 カイルはため息をつき、炉の近くで金槌を手に取り、その柄を握りしめた。カイルの指が強く食い込み、木の柄がわずかに軋む音を立てた。

 カイルがリノアを冷たい目で見つめる。

 リノアはさらに問いただそうとしたが、カイルが先に口を開いた。

「シオンがそれに絡んだなら、自業自得だろ」

「自業自得じゃない! シオンは村を守ろうとしたんだよ!」

 リノアの声が鋭く響き渡る。

 カイルは目を伏せ、金槌を静かに炉の横に置き、落ち着き払った声で言った。

「お前、深入りすんなよ。シオンみたいになりたくなければな」

 その言葉にリノアは息を呑んだ。カイルの目は冷たく、警告の色が濃い。リノアは枯れた葉を籠に戻し、後ずさった。

「ありがとう、カイル。気をつけるよ」

 リノアは短く答え、鍛冶屋を後にした。夜風が鋭く吹き抜け、彼女の髪を揺らす。暗い空に散らばる星々が、どこか遠くから静かに見守っているようだった。

 村の灯りが遠くに見える頃、リノアは足を止め、森の方向を見た。木々が黒い影となって揺れ、風がざわめいている。 冷
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  • 水鏡の星詠   境界を越えた者たち ①

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